大学を卒業して間もない未熟だった頃に比べると、今は随分元気で健康になった。
心を痛めて音楽に取りかかれない日もあったけれども、今は健全な気持ちで取り組むことができる。
ただ、未熟だった時にもいいことはあって、それは音楽への感動があるということ。
弱気だった私にまるで巡る血のように活力を与え、涙を流させたのは紛れもなく音楽であった。
音楽が、暗闇の中の希望の一筋の光のようで、または雪を溶かす春の暖かさのようだった。

今は成長して時間も経って、そういったことが少なくなってしまった。
もちろん今でも音楽は大好きだし、聴いて心と耳がほころびることはたくさんあるけれど、それでも前よりはずっと少なくなってしまった。
時間の経過がそうさせたのかもしれないし、またいつか前のように音楽を感じることがあるかもしれない。
こうなってしまったことが、果たして良いことなのか悪いことなのかよくわからない。
だって今は健康だし幸せであるから。

先日のライブで歌の西村知恵さんがMCの中で、音楽は愛だとおっしゃっていた。
そういったことをいつも忘れないでいる知恵さんは本当に素晴らしいと思う。
私は少しの間、それを忘れていたのではないか。

私は自分の作り出す音楽に感動したことがあるだろうか?
真剣になるということはあるけれど、もしくは一時的な苦しみが伴うことがあるけれども(思うように表現できていない時など)、吹いている瞬間に楽しい、と思うことは殆どないと思う。
共演者の演奏を聴いているのは楽しい。
どうか今出している音について、ああ美しい、と思う感覚を持ちたい。
もっと作り出しているものにピュアに向き合うべきだ。
音楽に愛を持って接するべきだ。
確かに演奏を行う上で、技術的な面に厳しい目を向けることも重要だろう。けれども、それを越えて演奏していたい。
それを越えるために、毎日練習して課題に取り組んでいくんだろう。
決して私欲ではなく、音楽に誠実に。
音楽は本当はいつも私たちに寄り添っていてくれているものでと思う。
音楽は確かに愛だ。