先日お借りしたBenny Carterの77年のモントルージャズフェスティバルのライブDVDを見ました。
貸してくださったSさん、ありがとうございます。
Benny Carterと言えば、Johnny Hodgesに並ぶアルトサックスの大巨匠で、多くの人が彼を尊敬していると思うのですが、70年代の彼の演奏を聴くのは初めて。
メンバーはRay Bryant(pf), Niels-Henning Ørsted Pedersen(ba), Jimmy Smith(ds)
Benny Carterが70歳くらいで、他が3-40代というところ。
ジャズの一時代を築いた彼が、77年に当時のペデルセンたちと一緒に演奏しているのがまず遺産。こうやって歴史が受け継がれているんだなあ。
Benny Carterは、ジャンルや肌の色は関係なく、良い音を出していればそれで良いのだと言う。彼のプレイは、勿論一時代を築いたものなんだけれど、古さを感じさせず、トリオとばっちりサウンドしている。
それは彼が即興で毎回新鮮なことをやっていて、音楽をやっているからだろう。”スウィング"というジャンルをやっているわけではないんだ。本当に心地よい音楽。
一つ気になったのは、77年の彼らの演奏と、今の私の演奏は、50年も経っているのに同じことをしているということ。
勿論彼らは偉大な巨匠たちなので"同じこと"というと語弊があるのだけど、つまり私は彼らをなぞることしかしていない。50年も経っているのだから、もっと変化を遂げた演奏をしていても良いのでは。
彼らは彼らの時代の最先端を行っていたわけだから、彼らをリスペクトするならば、私がすることは、彼らのやってきたことをなぞることではなく、時代の最先端を追って歴史を繋げていくことなのでは?
自分のような端くれのミュージシャンがジャズの歴史に関わろうなんて大それているけど、、でも気持ちはその一端を担うつもりでいたい、、。
新しい音楽を模索しようとしないのにプロと言えるのだろうか。次の時代を見据えないのは、これまでのジャズの歴史に対する冒涜ではないだろうか。
音楽の大事なところは、それを他人の声ではなく、自分の声で歌う、ということだろう。
自分の声で歌う・自分の音楽をやるということは、必ずしも最先端の音楽をやる、という意味ではないかもしれない。現代を生き、自己を見つめ、その中で本当にやりたいことをやれば良いのかもしれない。
世の中のことを考える前にまず自分を成長させないと。
自分が自分として成長して、色んな人が自分を成長させて、身の周りを見つめて、そうすると音楽やまわりの世界が少しずつ成長していくのかもしれない。
まず私は自身を、現代を見つめ、自分の音楽をやる必要がある。(それが”証明”でなくても良いと思う。
つまり、私はこういう者です!という押し付けがなくてもいいし、いつも答えが明確になくても構わないと思う。けど探究をやめてはいけないとも思う。)
ジャンルを演奏するのではなく、音楽を演奏すること。素直であるということ。寄り添ってくれる音楽に耳と心を傾けること。それが、自分の歌を歌うということだろうし、それが結果的に何か新しいものに繋がるかもしれない。私が私自身を生きなければ、何も生まれないということ。
はい、練習します。